2014.07.17(木曜日)
おはようございます。
昨夜は会議後に、飲み会だったため、寝不足のzekkiiです。
さて、昨日は、はるき分会総会に出席してきました。担当としては、最後の総会です。
曽谷分会から考えるとなんと5年、担当させていただきました。
通常は、2~3年で担当が替わることを考えると感慨深いものがあります。
5年前の曽谷分会といえば、全く分会として機能しておらず、
集団納入(当時でいう、分会会議)をおこない、しかも
役員はおじいちゃんたちばかり・・・。
分会執行委員会(役員会)をしても、集まるのは多くて5人くらい・・・。
実際、役員も全然いなかったのですが・・・。
そんな曽谷分会でしたので、健康診断も大柏分会におんぶにだっこ状態。
自分たちで何かができるとは思っていませんでした。
しかし、当時分会長だった佐藤さん(現在 支部住宅対策部長)に転機が訪れます。
夜の拡大行動をする際に、秋本委員長と一緒にまわったところ、
「班の整備をきちんとしようよ!」「一緒に頑張ろう!」と
声をかけられたのがきっかけで組織作りを意識するようになりました。
実は、その時期に市川支部では「地域わりした班作り」に力をいれており、曽谷分会も
新しい班にするため、班役員を発掘するべく、拡大で組合員訪問をしていたのです。
そんな拡大の日から1週間後。
支部に1本の電話が。
すごい!!の一言。
担当していたzekkii、絶句。
どうやって決めたのですかと問えば
ある程度、あたりをつけて電話かけしたとはいえ、
ほぼ一人で100件近くの電話かけを仕事の合間にしてくれ、協力者を増やしました。
その後、曽谷は、市川支部でも類を見ないほどのスピードで
組織づくりを行なってきました。
一度波にのった分会の勢いはとまりません。
その後は、分会でカラオケや交流会などを通じて協力者を更に増やしていきました。
また、佐藤さんが支部のオルグにあがったときには、
次の分会長は誰?と騒いだ曽谷分会。
当時は分会長なしで、副分会長2人体制でスタートしました。
しかし
組織部会に参加した木下さんが
その後、分会長としての木下さんは、多くの役員の中心となり、家族で楽しめるイベントを企画、実行する中で、分会役員を増やしていきました。
その後、3年前の中建問題が・・・。
千葉土建で5000名の仲間が脱退し、市川支部でも約200名の仲間が組合を去りました。
そのため、支部事務所には書記5名、パート1名の合計6名が在籍していましたが、
現在の書記4名体制となってしまいます。
また、分会も80~200名と大小のばらつきがあり、統合を考えるようになりました。
当時10あった分会を6にしようと3カ年計画を打ち出します。
組織ができていなかった曽谷分会であれば、そのまま大柏分会に統合していたでしょう。
しかし、その時には、すでに「班2役」体制が確立しており、曽谷分会は存続することになったのです。その代わり?、里見分会や市川地域、真間地域の班と合流。250名分会となったのです。
分会統合をすることを聞いた木下曽谷分会長、田中里見分会長(現 支部組織部長)は、
統合前から準備をしようと曽谷分会、里見分会、いちかわ桜分会でのBBQを企画。すごく楽しい雰囲気のまま企画を終えました。
その後、分会役員のみで統合前の役員会を重ねました。
統合前にしっかりと話し合いを行ない、進めたことによって昨年7月の結成総会後もスムーズに運営をすることに成功。
として活躍するまでになりました。
今では分会役員も9役までそろったし(11役目指してます)、班2役も頑張ってるし。
支部オルグは心強いし。役員が支える分会になりました。
本当にこの5年間、色々勉強させて頂きました。ありがとうございました。
最後に、zekkii、はるき分会は卒業しますが、
前に分会変更したとき、だいぶ勘違いされましたので。
今度は、行徳分会の担当になります。行徳分会のみなさん!今後とも宜しくお願いします。(zekkii)
いや~♪ 感慨ひとしおですね
ご卒業おめでとうございます。
ヽ(^○^)ノ
行徳分会も組織確立! 班造り力を貸して下さいねm(__)m